雁《かり》の童子《どうじ》 宮沢《みやざわ》賢治《けんじ》 ----------------------------------------------------------------- [表記《ひょうき》について] ●底本《ていほん》に従《したが》い、小学校《しょうがっこう》1・2年《ねん》の学習《がくしゅう》配当《はいとう》漢字《かんじ》を除《のぞ》く漢字にはルビをつけた。ただし、同一《どういつ》語句《ごく》についてはルビは初出《しょしゅつ》のみにつけた。 ●ルビは「漢字《ルビ》」の形式《けいしき》で処理《しょり》した。 ●[※番号《ばんごう》]は、入力《にゅうりょく》者《シャ》の補《ホ》注《ちゅう》を示《しめ》す。補注は、ファイルの末尾《まつび》に置《お》いた。 -----------------------------------------------------------------  流沙《るさ》[※1]の南《みなみ》の、楊《やなぎ》で囲《かこ》まれた小《ちい》さな泉《いずみ》で、私《わたくし》は、いった麦粉《むぎこ》を水《みず》にといて、昼《ひる》の食事《しょくじ》をしておりました。  そのとき、一人《ひとり》の巡礼《じゅんれい》のおじいさんが、やっぱり食事のために、そこへやって来《き》ました。私たちはだまって軽《かる》く礼《れい》をしました。  けれども、半日《はんにち》まるっきり人《ひと》にも出会《であ》わないそんな旅《たび》でしたから、私は食事がすんでも、すぐに泉とその年老《としと》った巡礼とから、別《わか》れてしまいたくはありませんでした。  私はしばらくその老人《ろうじん》の、高《たか》い咽喉仏《のどぼとけ》のぎくぎく動《うご》くのを、見《み》るともなしに見ていました。何《なに》か話《はな》し掛《か》けたいと思《おも》いましたが、どうもあんまり向《むこ》うが寂《しず》かなので、私は少しきゅうくつにも思いました。  けれども、ふと私は泉のうしろに、小さな祠《ほこら》のあるのを見付《みつ》けました。それは大《たい》へん小さくて、地理学《ちりがく》者や探険家《たんけんか》ならばちょっと標本《ひょうほん》に持《も》って行《い》けそうなものではありましたがまだ全《まった》くあたらしく黄《き》いろと赤《あか》のペンキさえ塗《ぬ》られていかにも異様《いよう》に思われ、その前《まえ》には、粗末《そまつ》ながら一本《いっぽん》の幡《はた》も立《た》っていました。  私は老人が、もう食事も終《おわ》りそうなのを見てたずねました。 「失礼《しつれい》ですがあのお堂《どう》はどなたをおまつりしたのですか。」  その老人も、たしかに何か、私に話しかけたくていたのです。だまって二、三度《ど》うなずきながら、そのたべものをのみ下《くだ》して、低《ひ》く言《い》いました。 「……童子のです。」 「童子ってどう云《い》う方《かた》ですか。」 「雁の童子と仰《お》っしゃるのは。」老人は食器《しょっき》をしまい、屈《かが》んで泉の水をすくい、きれいに口《くち》をそそいでからまた云いました。 「雁の童子と仰っしゃるのは、まるでこの頃《ごろ》あった昔《むかし》ばなしのようなのです。この地方《ちほう》にこのごろ降《お》りられました天童子《てんどうじ》だというのです。このお堂はこのごろ流沙の向《むこ》う側《がわ》にも、あちこち建《た》っております。」 「天《てん》のこどもが、降りたのですか。罪《つみ》があって天から流《なが》されたのですか。」 「さあ、よくわかりませんが、よくこの辺《へん》でそう申《もう》します。多分《たぶん》そうでございましょう。」 「いかがでしょう、聞《き》かせて下《くだ》さいませんか。お急《いそ》ぎでさえなかったら。」 「いいえ、急ぎはいたしません。私の聴《き》いただけお話《はなし》いたしましょう。  沙車《さしゃ》[※2]に、須利耶《すりや》圭《けい》という人がございました。名門《めいもん》ではございましたそうですが、おちぶれて奥《おく》さまと二人《ふたり》、ご自分《じぶん》は昔からの写経《しゃきょう》をなさり、奥さまは機《はた》を織《お》って、しずかにくらしていられました。  ある明方《あけがた》、須利耶さまが鉄砲《てっぽう》をもったご自分の従弟《いとこ》のかたとご一緒《いっしょ》に、野原《のはら》を歩《ある》いていられました。地面《じめん》はごく麗《うる》わしい青《あお》い石《いし》で、空《そら》がぼうっと白《しろ》く見《み》え、雪《ゆき》もま近《ぢか》でございました。  須利耶さまがお従弟さまに仰っしゃるには、お前《まえ》もさような慰《なぐさ》みの殺生《せっしょう》を、もういい加減《かげん》やめたらどうだと、斯《こ》うでございました。  ところが従弟の方が、まるですげなく、やめられないと、ご返事《へんじ》です。 (お前はずいぶんむごいやつだ、お前の傷《いた》めたり殺《ころ》したりするものが、一体《いったい》どんなものだかわかっているか、どんなものでもいのちは悲《かな》しいものなのだぞ。)と、須利耶さまは重《かさ》ねておさとしになりました。 (そうかもしれないよ。けれどもそうでないかもしれない。そうだとすればおれは一層《いっそう》おもしろいのだ、まあそんな下《くだ》らない話はやめろ、そんなことは昔の坊主《ぼうず》どもの言うこった、見ろ、向うを雁が行くだろう、おれは仕止《しと》めて見《み》せる。)と従弟のかたは鉄砲を構《かま》えて、走《はし》って見えなくなりました。  須利耶さまは、その大きな黒《くろ》い雁の列《れつ》を、じっと眺《なが》めて立《た》たれました。  そのとき俄《にわ》かに向うから、黒い尖《とが》った弾丸《だんがん》が昇《のぼ》って、まっ先《さ》きの雁の胸《むね》を射《い》ました。  雁は二、三べん揺《ゆ》らぎました。見《み》る見《み》るからだに火《ひ》が燃《も》え出《だ》し、世《よ》にも悲《かな》しく叫《さけ》びながら、落ちて参《まい》ったのでございます。  弾丸がまた昇って次《つぎ》の雁の胸をつらぬきました。それでもどの雁も、遁《に》げはいたしませんでした。  却《かえ》って泣《な》き叫《さけ》びながらも、落ちて来る雁に随《したが》いました。  第三《だいさん》の弾丸が昇り、  第四の弾丸がまた昇りました。  六発の弾丸が六疋の雁を傷《きず》つけまして、一《いち》ばんしまいの小さな一疋《いっぴき》だけが、傷つかずに残《のこ》っていたのでございます。燃え叫ぶ六疋は、悶《もだ》えながら空を沈《しず》み、しまいの一疋は泣《な》いて随い、それでも雁の正《ただ》しい列は、決《けっ》して乱《みだ》れはいたしません。  そのとき須利耶さまの愕《おど》ろきには、いつか雁がみな空を飛《と》ぶ人の形《かたち》に変《かわ》っておりました。  赤《あか》い焔《ほのお》に包《つつ》まれて、歎《なげ》き叫んで手足《てあし》をもだえ、落ちて参る五人、それからしまいに只《ただ》一人、完《まった》いものは可愛《かわい》らしい天の子供《こども》でございました。  そして須利耶さまは、たしかにその子供に見覚《みおぼ》えがございました。最初《さいしょ》のものは、もはや地面に達《たっ》しまする。それは白い鬚《ひげ》の老人で、倒《たお》れて燃えながら、骨立《ほねだ》った両手《りょうて》を合《あわ》せ、須利耶さまを拝《おが》むようにして、切《せつ》なく叫びますのには、 (須利耶さま、須利耶さま、おねがいでございます。どうか私の孫《まご》をお連《つ》れ下さいませ。)  もちろん須利耶さまは、馳《は》せ寄《よ》って申されました。《いいとも、いいとも、確《たし》かにおれが引《ひ》き取《と》ってやろう。しかし一体お前らは、どうしたのだ。》そのとき次々《つぎつぎ》に雁が地面に落ちて来て燃《も》えました。大人《おとな》もあれば美《うつく》しい瓔珞《ようらく》をかけた女子《おなご》もございました。その女子はまっかな焔に燃えながら、手《て》をあのおしまいの子にのばし、子供は泣いてそのまわりをはせめぐったと申しまする。雁の老人が重ねて申しますには、 (私共《ども》は天の眷属《けんぞく》[※3]でございます。罪があってただいままで雁の形を受《う》けておりました。只今《ただいま》報《むく》いを果《はた》しました。私共は天に帰《かえ》ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとは縁《えん》のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお育《そだ》てを願《ねが》います。おねがいでございます。)と欺うでございます。  須利耶さまが申されました。 (いいとも。すっかり判《わか》った。引《ひ》き受《う》けた。安心《あんしん》してくれ。)  すると老人は手を擦《こす》って地面に頭《あたま》を垂《た》れたと思うと、もう燃えつきて、影《かげ》もかたちもございませんでした。須利耶さまも従弟さまも鉄砲をもったままぼんやりと立っていられましたそうでいったい二人いっしょに夢《ゆめ》を見《み》たのかとも思われましたそうですがあとで従弟さまの申されますにはその鉄砲はまだ熱《あつ》く弾丸は減《へ》っておりそのみんなのひざまずいた所《ところ》の草《くさ》はたしかに倒れておったそうでございます。  そしてもちろんそこにはその童子が立っていられましたのです。須利耶さまはわれにかえって童子に向って云われました。 (お前は今日《きょう》からおれの子供だ。もう泣かないでいい。お前の前のお母《かあ》さんや兄《にい》さんたちは、立派《りっぱ》な国《くに》に昇って行かれた。さあおいで。)  須利耶さまはごじぶんのうちへ戻《もど》られました。途中《とちゅう》の野原は青い石でしんとして子供は泣きながら随いて参りました。  須利耶さまは奥さまとご相談《そうだん》で、何と名前《なまえ》をつけようか、三、四日お考《かんが》えでございましたが、そのうち、話はもう沙車全体《ぜんたい》にひろがり、みんなは子供を雁の童子と呼びましたので、須利耶さまも仕方《しかた》なくそう呼んでおいででございました。」  老人はちょっと息《いき》を切《き》りました。私は足《あし》もとの小さな苔《こけ》を見ながら、この怪《あや》しい空から落ちて赤い焔につつまれ、かなしく燃えて行く人たちの姿《すがた》を、はっきりと思《おも》い浮《うか》べました。老人はしばらく私を見ていましたが、また語《かた》りつづけました。 「沙車の春《はる》の終りには、野原いちめん楊の花《はな》が光《ひか》って飛びます。遠《とお》くの氷《こおり》の山《やま》からは、白い何とも云えず瞳《ひとみ》を痛《いた》くするような光《ひかり》が、日光《にっこう》の中《なか》を這《は》ってまいります。それから果樹《かじゅ》がちらちらゆすれ、ひばりはそらですきとおった波《なみ》をたてまする。童子は早《はや》くも六つになられました。春のある夕方《ゆうがた》のこと、須利耶さまは雁から来たお子さまをつれて、町《まち》を通《とお》って参られました。葡萄《ぶどう》いろの重《おも》い雲《くも》の下《した》を、影法師《かげぼうし》の蝙蝠《こうもり》がひらひらと飛んで過《す》ぎました。  子供らが長《なが》い棒《ぼう》に紐《ひも》をつけて、それを追《お》いました。 (雁の童子だ。雁の童子だ。)  子供らは棒を棄《す》て手《て》をつなぎ合《あ》って大きな環《わ》になり須利耶さま親子《おやこ》を囲《かこ》みました。  須利耶さまは笑《わら》っておいででございました。  子供らは声《こえ》を揃《そろ》えていつものようにはやしまする。   (雁の子、雁の子雁童子、   空から須利耶におりて来た。)と斯うでございます。けれども一人の子供が冗談《じょうだん》に申しまするには、   (雁のすてご、雁のすてご、   春になってもまだ居《お》るか。)  みんなはどっと笑いましてそれからどう云うわけか小さな石が一《ひと》つ飛んで来て童子の頬《ほお》を打《う》ちました。須利耶さまは童子をかばってみんなに申されますのには、  おまえたちは何をするんだ、この子供は何か悪《わる》いことをしたか、冗談にも石を投《な》げるなんていけないぞ。  子供らが叫んでばらばら走って来て童子に詫《わ》びたり慰《なぐさ》めたりいたしました。或《あ》る子は前掛《まえか》けの衣嚢《かくし》から干《ほ》した無花果《いちじく》を出して遣《や》ろうといたしました。  童子は初《はじ》めからお了《しま》いまでにこにこ笑《わら》っておられました。須利耶さまもお笑いになりみんなを赦《ゆる》して童子を連《つ》れて其処《そこ》をはなれなさいました。  そして浅黄《あさぎ》の瑪瑙《めのう》の、しずかな夕《ゆう》もやの中でいわれました。 (よくお前はさっき泣かなかったな。)その時《とき》童子はお父《とう》さまにすがりながら、 (お父さんわたしの前のおじいさんはね、からだに弾丸《たま》を七《なな》つ持っていたよ。)と斯う申されたと伝《つた》えます。」  巡礼の老人は私の顔《かお》を見ました。  私もじっと老人のうるんだ眼《まなこ》を見あげておりました。老人はまた語りつづけました。 「また或る晩《ばん》のこと童子は寝付《ねつ》けないでいつまでも床《とこ》の上《うえ》でもがきなさいました。(おっかさんねむられないよう。)と仰っしゃりまする、須利耶の奥さまは立って行って静《しず》かに頭を撫《な》でておやりなさいました。童子さまの脳《のう》はもうすっかり疲《つか》れて、白い網《あみ》のようになって、ぶるぶるゆれ、その中に赤い大きな三日月《みかづき》が浮《う》かんだり、そのへん一杯《いっぱい》にぜんまいの芽《め》のようなものが見《み》えたり、また四角《しかく》な変《へん》に柔《やわ》らかな白いものが、だんだん拡《ひろ》がって恐《おそ》ろしい大きな箱《はこ》になったりするのでございました。母さまはその額《ひたい》が余《あま》り熱いといって心配《しんぱい》なさいました。須利耶さまは写《うつ》しかけの経文《きょうもん》に、掌《て》を合せて立ちあがられ、それから童子さまを立たせて、紅革《べにがわ》の帯《おび》を結《むす》んでやり表《おもて》へ連れてお出になりました。駅《えき》のどの家ももう戸《と》を閉《し》めてしまって、一面の星《ほし》の下に、棟々《むねむね》が黒く列《なら》びました。その時童子はふと水の流《なが》れる音《おと》を聞かれました。そしてしばらく考《かんが》えてから、 (お父さん、水は夜《よる》でも流れるのですか。)とお尋《たず》ねです。須利耶さまは沙漠《さばく》の向うから昇って来た大きな青い星を眺《なが》めながらお答《こた》えなされます。 (水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、平《たい》らな所でさえなかったら、いつまでもいつまでも流れるのだ。)  童子の脳は急《きゅう》にすっかり静《しず》まって、そして今度《こんど》は早く母さまの処《ところ》にお帰りなりとうなりまする。 (お父さん。もう帰ろうよ。)と申されながら須利耶さまの袂《たもと》を引《ひ》っ張《ぱ》りなさいます。お二人は家に入《はい》り、母さまが迎《むか》えなされて戸の環《カン》を嵌《は》めておられますうちに、童子はいつかご自分の床に登《のぼ》って、着換《きか》えもせずにぐっすり眠《ねむ》ってしまわれました。  また次のようなことも申します。  ある日《ひ》須利耶さまは童子と食卓《しょくたく》にお座《すわ》りなさいました。食品《しょくひん》の中に、蜜《みつ》で煮《に》た二《ふた》つの鮒《ふな》がございました。須利耶の奥さまは、一つを須利耶さまの前に置かれ、一つを童子にお与《あた》えなされました。 (喰《た》べたくないよおっかさん。)童子が申されました。(おいしいのだよ。どれ、箸《はし》をお貸《か》し。)  須利耶の奥さまは童子の箸をとって、魚《さかな》を小さく砕《くだ》きながら、(さあおあがり、おいしいよ。)と勧《すす》められます。童子は母さまの魚を砕く間《あいだ》、じっとその横顔《よこがお》を見ていられましたが、俄かに胸が変な工合《ぐあい》に迫《せま》ってきて気《き》の毒《どく》なような悲しいような何とも堪《たま》らなくなりました。くるっと立って鉄砲玉《てっぽうだま》のように外《そと》へ走って出《で》られました。そしてまっ白《しろ》な雲の一杯《いっぱい》に充《み》ちた空に向って、大きな声で泣き出しました。まあどうしたのでしょう、と須利耶の奥さまが愕ろかれます。どうしたのだろう行ってみろ、と須利耶さまも気《き》づかわれます。そこで須利耶の奥さまは戸口《とぐち》にお立ちになりましたら童子はもう泣きやんで笑っていられましたとそんなことも申し伝えます。  またある時、須利耶さまは童子をつれて、馬市《うまいち》の中を通られましたら、一疋の仔馬《こうま》が乳《ちち》を呑《の》んでおったと申します。黒い粗布《あらぬの》を着《き》た馬商人《うましょうにん》が来て、仔馬を引きはなしもう一疋の仔馬に結《むす》びつけ、そして黙《だま》ってそれを引《ひ》いて行こうと致《いた》しまする。母親《ははおや》の馬はびっくりして高く鳴《な》きました。なれども仔馬はぐんぐん連れて行かれまする。向うの角《かど》を曲《まが》ろうとして、仔馬は急いで後肢《あとあし》を一方《いっぽう》あげて、腹《はら》の蝿《はえ》を叩《たた》きました。  童子は母馬の茶《ちゃ》いろな瞳を、ちらっと横眼《よこめ》で見られましたが、俄かに須利耶さまにすがりついて泣き出されました。けれども須利耶さまはお叱《しか》りなさいませんでした。ご自分の袖《そで》で童子の頭をつつむようにして、馬市を通《とお》りすぎてから河岸《かわぎし》の青い草の上に童子を座《すわ》らせて杏《あんず》の実《み》を出しておやりになりながら、しずかにおたずねなさいました。 (お前はさっきどうして泣いたの。) (だってお父さん。みんなが仔馬をむりに連れて行くんだもの。) (馬は仕方《しかた》ない。もう大きくなったからこれから独《ひと》りで働《はた》らくんだ。) (あの馬はまだ乳を呑んでいたよ。) (それはそばに置いてはいつまでも甘《あま》えるから仕方ない。) (だってお父さん。みんながあのお母さんの馬にも子供の馬にもあとで荷物《にもつ》を一杯つけてひどい山を連れて行くんだ。それから食《た》べ物《もの》がなくなると殺《ころ》して食《た》べてしまうんだろう。)  須利耶さまは何気《なにげ》ないふうで、そんな成人《おとな》のようなことを云うもんじゃないとは仰っしゃいましたが、本統《ほんとう》は少しその天の子供が恐《おそ》ろしくもお思いでしたと、まあそう申し伝えます。  須利耶さまは童子を十二のとき、少し離《はな》れた首都《しゅと》のある外道《げどう》[※4]の塾《じゅく》にお入《い》れなさいました。  童子の母さまは、一生《いっしょう》けん命《めい》機を織って、塾料《じゅくりょう》や小遣《こづか》いやらを拵《こし》らえてお送《おく》りなさいました。  冬《ふゆ》が近《ちか》くて、天山《てんざん》[※5]はもうまっ白になり、桑《くわ》の葉《は》が黄いろに枯《か》れてカサカサ落ちました頃、ある日のこと、童子が俄かに帰っておいでです。母さまが窓《まど》から目敏《めざと》く見付《みつ》けて出て行かれました。  須利耶さまは知《し》らないふりで写経を続《つづ》けておいてです。 (まあお前は今《いま》ごろどうしたのです。) (私、もうお母さんと一緒に働らこうと思います。勉強《べんきょう》している暇《ひま》はないんです。)  母さまは、須利耶さまのほうに気兼《きが》ねしながら申されました。 (お前はまたそんなおとなのようなことを云って、仕方ないではありませんか。早く帰って勉強して、立派になって、みんなの為《ため》にならないとなりません。) (だっておっかさん。おっかさんの手はそんなにガサガサしているのでしょう。それだのに私の手はこんななんでしょう。) (そんなことをお前が云わなくてもいいのです。誰《だれ》でも年を老《ふけ》れば手は荒《あ》れます。そんなことより、早く帰って勉強をなさい。お前の立派になることばかり私には楽《たのし》みなんだから。お父さんがお聞きになると叱《しか》られますよ。ね。さあ、おいで。)と斯う申されます。  童子はしょんぼり庭《にわ》から出られました。それでも、また立ち停《どま》ってしまわれましたので、母さまも出て行かれてもっと向うまでお連れになりました。そこは沼地《ぬまち》でございました。母さまは戻《もど》ろうとしてまた(さあ、おいで早く。)と仰っしゃったのでしたが童子はやっぱり停まったまま、家の方をぼんやり見ておられますので、母さまも仕方なくまた振《ふ》り返《かえ》って、蘆《あし》を一本抜《ぬ》いて小さな笛《ふえ》をつくり、それをお持たせになりました。  童子はやっと歩き出されました。そして、遥《はる》かに冷《つめ》たい縞《しま》をつくる雲のこちらに、蘆がそよいで、やがて童子の姿が、小さく小さくなってしまわれました。俄《にわ》かに空を羽音《はおと》がして、雁の一列《いちれつ》が通りました時、須利耶さまは窓からそれを見て、思《おも》わずどきっとなされました。  そうして冬に入りましたのでございます。その厳《きび》しい冬が過ぎますと、まず楊の芽が温和《おとな》しく光り、沙漠には砂糖水《さとうみず》のような陽炎《かげろう》が徘徊《はいかい》いたしまする。杏やすももの白い花が咲《さ》き、次《つい》では木立《こだち》も草地もまっ青《さお》になり、もはや玉髄《ぎょくずい》の雲の峯《みね》が、四方《しほう》の空を繞《めぐ》る頃となりました。  ちょうどそのころ沙車の町はずれの砂《すな》の中から、古《ふる》い沙車大寺《だいじ》のあとが掘《ほ》り出《だ》されたとのことでございました。一つの壁《かべ》がまだそのままで見附《みつけ》けられ、そこには三人《さんにん》の天童子が描《えが》かれ、ことにその一人はまるで生《い》きたようだとみんなが評判《ひょうばん》しましたそうです。或るよく晴《は》れた日、須利耶さまは都《みやこ》に出られ、童子の師匠《ししょう》を訪《たず》ねて色々《いろいろ》礼を述《の》べ、また三巻《みまき》の粗布を贈《おく》り、それから半日、童子を連れて歩きたいと申されました。  お二人は雑沓《ざっとう》の通りを過ぎて行かれました。  須利耶さまが歩きながら、何気なく云われますには、 (どうだ、今日の空の碧《あお》いことは、お前がたの年は、丁度《ちょうど》今あのそらへ飛びあがろうとして羽《はね》をばたばた云わせているようなものだ。)  童子が大へんに沈《しず》んで答《こた》えられました。 (お父さん。私はお父さんとはなれてどこへも行きたくありません。)  須利耶さまはお笑いになりました。 (勿論《もちろん》だ。この人の大きな旅では、自分だけひとり遠い光の空へ飛《と》び去《さ》ることはいけないのだ。) (いいえ、お父さん。私はどこへも行きたくありません。そして誰もどこへも行かないでいいのでしょうか。)とこう云う不思議《ふしぎ》なお尋ねでございます。 (誰もどこへも行かないでいいかってどう云うことだ。) (誰もね、ひとりで離《はな》れてどこへも行かないでいいのでしょうか。) (うん。それは行かないでいいだろう。)と須利耶さまは何の気もなくぼんやりと斯うお答えでした。  そしてお二人は町の広場《ひろば》を通《とお》り抜《ぬ》けて、だんだん《だんだん》郊外《こうがい》に来られました。沙《すな》がずうっとひろがっておりました。その砂が一ところ深《ふか》く掘《ほ》られて、沢山《たくさん》の人がその中に立ってございました。お二人も下りて行かれたのです。そこに古い一つの壁がありました。色《いろ》はあせてはいましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶さまは思わずどきっとなりました。何か大きい重《おも》いものが、遠くの空からばったりかぶさったように思われましたのです。それでも何気なく申されますには、 (なるほど立派なもんだ。あまりよく出来《でき》てなんだか恐《こわ》いようだ。この天童《てんどう》はどこかお前に肖《に》ているよ。)  須利耶さまは童子をふりかえりました。そしたら童子はなんだかわらったまま、倒《たお》れかかっていられました。須利耶さまは愕ろいて急《いそ》いで抱《だ》き留《と》められました。童子はお父さんの腕《うで》の中で夢《ゆめ》のようにつぶやかれました。 (おじいさんがお迎《むか》いをよこしたのです。)  須利耶さまは急いで叫ばれました。 (お前どうしたのだ。どこへも行ってはいけないよ。)  童子が微《かす》かに云われました。 (お父さん。お許《ゆる》し下さい。私はあなたの子です。この壁は前にお父さんが書《か》いたのです。そのとき私は王《おう》の……だったのですがこの絵《え》ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家《しゅっけ》したのでしたが敵王《てきおう》がきて寺《てら》を焼《や》くとき二日《ふつか》ほど俗服《ぞくふく》を着《き》てかくれているうちわたくしは恋人《こいびと》があってこのまま出家にかえるのをやめようかと思ったのです。)  人々《ひとびと》が集《あつま》って口々《くちぐち》に叫びました。 (雁の童子だ。雁の童子だ。)  童子はも一度《いちど》、少し唇《くちびる》をうごかして、何かつぶやいたようでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったと申します。  私の知っておりますのはただこれだけでございます。」  老人はもう行かなければならないようでした。私はほんとうに名残《なご》り惜《お》しく思い、まっすぐに立って合掌《がっしょう》して申しました。 「尊《とうと》いお物語《ものがたり》をありがとうございました。まことにお互《たが》い、ちょっと沙漠のへりの泉で、お眼にかかって、ただ一時《ひととき》を、一緒に過ごしただけではございますが、これもかりそめのことではないと存《ぞん》じます。ほんの通《とお》りがかりの二人の旅人《たびびと》とは見えますが、実はお互がどんなものかもよくわからないのでございます。いずれはもろともに、善逝《スガタ》[※6]の示《しめ》された光の道《みち》を進《すす》み、かの無上菩提《むじょうぼだい》[※7]に至《いた》ることでございます。それではお別《わか》れいたします。さようなら。」  老人は、黙って礼を返《かえ》しました。何か云いたいようでしたが黙って俄かに向うを向き、今まで私の来た方の荒地《あれち》にとぼとぼ歩き出しました。私もまた、丁度その反対《はんたい》の方の、さびしい石原《いさ》を合掌したまま進みました。 ----------------------------------------------------------------- ●入力者注 ※1 流沙=中国《ちゅうごく》のタクラマカン砂漠《さばく》を指《さ》す。 ※2 沙車=タクラマカン砂漠にあったといわれる古代《こだい》の都市《とし》。 ※3 眷属=一族《いちぞく》の意味《いみ》。 ※4 外道=他《ほか》教《おさむ》の信者《しんじゃ》の意味。仏教徒《ぶっきょうと》が他教の信者を指す際《さい》に使《つか》う。 ※5 天山=中国・キルギスタンの国境《くにざかい》近くにある山脈《さんみゃく》を指す。 ※6 善逝=梵語《ぼんご》で、悟《さと》りに到達《とうたつ》した者の意味。 ※7 無上菩提=無上はこの上《のぼ》ない、菩提は悟りのこと。 ----------------------------------------------------------------- 底本:「インドラの網」角川《かどがわ》文庫《ぶんこ》、角川書店《しょてん》    1996(平成《へいせい》8)年6月20日再版《さいはん》 底本の親《おや》本:「新《しん》校《こう》本 宮澤賢治全集《ぜんしゅう》」筑摩《つかま》書房《しょぼう》    1995(平成7)年5月発行《はっこう》 入力:浜野智 校正《こうせい》:浜野智 1999年7月26日公開《こうかい》 1999年8月26日修正《しゅうせい》 青空《あおぞら》文庫作成《さくせい》ファイル: このファイルは、インターネットの図書館《としょかん》、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作《つく》られました。入力、校正、制作《せいさく》にあたったのは、ボランティアの皆《みんな》さんです。 Additional readings and English translations added by Michael Koch (tensberg@gmx.net). 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